「幸福感に潜む不幸」や「悲しさの中に感じる安堵感」や「嫌悪している相手に対する共感」・・・など、
人の心の重層構造に思いをはせないと理解できない物語文や、
「美と美の状態」や「西欧的なものと日本的なもの」というようなテーマも扱われている説明文が、読解問題の難しさだと書きました。
子どもが、日常生活の中では考えたり感じたりするはずのないこと、一種の教養としての思考が要求されています。
このような、テーマを扱う問題を解く上で、2つの要素に分けてお話ししたいと思います。
1つ目は、「読み」です。
2つ目は、「正解を得る」です。
〇読みについて
入試に採用されている素材文は、大人が読んでも感動がわき起こったり、新たな知見を得たりできる優れた文章がほとんどです。
そして、その長文の選択は、その学校の国語の先生方に任されているのが普通です。
学校の国語の先生達が、これまでの読書体験の中で、これはと思う文章を選ばれることになります。
(その中学校や高校での夏休みの読書課題から、学校特有(担当教師特有)の特徴が見えたりします。)
そうなると、どうしても日本近代文学から現代までの主要な系譜の中からの選択になりがちです。
私の貧弱な読書体験から話しをさせていただくと、
漱石から始まり江藤淳につながる多くの作家や評論家によって書かれた「西欧的なものと日本的なもの」
の相克が1つの大きなテーマになっているように感じます。
また、母性と父性も西欧的なものと日本的なものに絡めてテーマになります。
このようなお話をすると、「それでは日本近代文学を読ませなくっちゃ!」と思われる方が多いと思いますが、
ちょっとお待ちください。
もう一つ、お話をしておきたいと思います。
4~5年前から急に関東圏の国語の素材文が難しくなったことを前回お知らせしました。
そして、いろいろ市販されている国語の問題集は、過去の入試問題を参考に作られることが多いのですが、
それは4~10年前の出題問題からの選択され改題されているのが普通です。
そのために、受験問題集に採用されている長文のレベルが現在の問題レベルに合わないことになります。
塾のテキストも同様です。
テキストの問題は解けるのに、塾の総合テストでは点数がとれない子どもが多いのです。
易しい長文で練習しているにもかかわらず、難しい素材文が出題されているのですから当然と言えば当然です。
塾のテキストが易しく、次に難しいのがテストの文章、それ以上に難しいのが入試問題となっています。
これが、国語の成績を上げたくて、テキストを一生懸命勉強しても効果が無い原因です。
多くの塾での保護者会では、「入試の過去問は6年生の10月からで充分だ」と話されているようですが、
国語に関しては1学期から始めて欲しいのです。
志望校の過去問である必要はありません。最近出題された志望校と同レベルの長文のレベルに慣れてもらうためです。
塾の国語カリキュラムは、「説明文」→「物語文」→「随筆」→「詩」・・というようになっています。
カリキュラムに合わせて、入試問題からピックアップして力試しをしておいて欲しいのです。
制限時間にこだわる必要はありません。じっくりと時間をとって読ませてあげてください。
そこで、読み方です。
長文を読み込むことが大切なのです。
読み込むとは、文章のつながり、段落のつながり、語句の意味を正確に捉える、指示語の理解、接続後の理解・・・。
一つ一つの文章をしっかりと読んで内容を消化していくことが「読み込み」です。
決して流し読みではないのです。
「日本近代文学をたくさん読ませることはちょっとお待ちください」と言ったのは、子ども任せで読ませると、「流し読み」になってしまうからです。
はじめは、
「その、「しかし」は、何に対してなの?」とか、
「「とてもそう思えなかった」という「そう」とはどんなこと?」とか、
「そこの「モニュメント」って何に対してのモニュメントなの?」
というような質問が大切です。
子どもは質問に答えるために、その語句の前後を読み直し、言葉の関係を見つけ、自分の過去の経験や心の動きを想像したりします。
これが、難問を解くための読み方です。
国語家庭教師の力量は、この質問力で決まります。
子どもの頭をフル回転させる質問を連発できるかなのです。
国語の読解にもテクニックは必要です。
ところが、テクニックだけでは深いテーマを扱った文章には太刀打ちできません。
的確に読み取ることが必要になります。
ですから、国語の力量を高めるにはどうしても期間が必要です。
子どもの状況によっては半年で大丈夫な子もいれば、2年必要な子もいます。
早めの対策をお願いしておきます。
次回は、長文問題を解く際に気をつけていただきたいことを書いていきます。