問題を考えるときの方法として、「理学的アプローチ」と「工学的アプローチ」があると思っています。
この表現が適切かどうかは別として、中学受験の勉強に関してこの表現を使う場合の定義を、私はこう考えています。
理学的アプローチは、出てきた数値に対して、「どうしてこの数値が出てきたのか」「ここまでの思考の過程は正確にはどうだったのか、自分は完全に理解しているか、再現できるか」と考えるアプローチ

工学的アプローチは、出てきた数値がどうして出てきたか、自分が完全に理解できているかどうかは別として、その数値や考え方を使って何ができるかを考えるアプローチ。

一般的には「理学は探求志向、工学は目的志向」とよく言われますね。

実際に学習する際は、この2つのアプローチをどちらも使っていく必要があります。
私がふだんお子さんに対してよく使う言葉で言えば、「なぜそうなのか」「だったらどうなるのか」といえるかもしれません。

ふだんの勉強においては「なぜこうなったか、自分は完全に理解できているか。誰かにそれを説明できるか」と常に「理学的」な思考をすることはとても大切です。
曖昧にしてはいけないところでもあります。
深く、完全に理解して再現できる状態にしておかないと、上辺だけさらっている状態では「実力テストになると結果が出せない」ということになってしまいます。

一方で、制限時間のあるテストなどにおいては、とにかく問題を解決するために、今わかっていることをどのように次につなげていけばよいかを考えなければなりません。「だったらどうなるのか」です。
今わかっていることを踏まえ、次の一歩を踏み出す力が必要なのです。

この2つの力は、いわば問題解決法の両輪ともいえますね。

お子さんたちが将来社会に出たときも、やはりこの2つの力は必要となります。

「なぜ仕事をするのか」「仕事を通して、社会的な活動を通して、自分は何を成し遂げたいのか」を深く考えることはもちろん大切なことだし、「目的を達成するために、今自分が持っている力のうち何をどう使えばいいのか」を考えることも、また大切なことだからです。

「どうして勉強なんてしなくちゃいけないの?」

そんなお子さんの質問への答えも、同じことです。
「幸せになるため」「まわりの大切な人たちを幸せにするため」には、この2つの考え方をバランスよく使う力をつける必要があるからだと私は思っています。

どちらか一方だけでは、自分もまわりも幸せにはなれません。

そう考えると、勉強は将来幸せになるための練習なんですね。


京都、南禅寺の紅葉。周りの人たちを幸せにする風景です。