小5生は、今多くの塾で通過算をやっています。
この単元は、「(トンネルの長さ+列車の長さ)÷速さ 
で通過する時間が出る」と丸暗する子が多く出現する単元です。

これまで、丸暗記の算数は良くないと何度も書いてきました。
どの単元でも「公式を丸暗記してその単元をやり過ごそう」とする子は何人もいるのですが、
この通過算ではその割合がグッと増えてしまいます。

通過算を公式の丸暗記に頼る子には、いくつかの特徴があります。
まず、図を書こうとしないという顕著な傾向があります。
その図を書こうとしない原因は、「図を書くことを面倒くさがる」ことと「図が書けない」に分かれます。
この「図が書けない」子供たちに関わる事を今回は書いて行きたいと思います。
 「列車が別の列車に追いついて追い越す」事がどのような状態を示しているのかが理解出来ない。
2つの列車がどのような動きをしているのかが理解出来ない。
これが「図が書けない」原因の多くを占めています。
2本の鉛筆を列車に見立てて、子供に動かせてみようとすると、うまく動かせないことが多いのです。

うちの田舎では、線路は単線だから列車が列車を追い越すことがないから分からない
というツッコミにたいしては、中央線の複々線区間に住んでいる子供たちの中にもちゃんと
存在する事を反例にしておきます。

また、通過算の苦手な子供と時計算の苦手な子供は多くの割合で重なります。
長針をぐるぐる回してみると、短針はゆっくりと動いて、何度も何度も長針が追い抜いていく事を
理解していないようです。

「1時と2時の間で、時計の長針と短針が90°になるのは何時何分でしょう」
という問題に対して、
1時の時計の針を書かせた後、「始めて90°になる時の針をだいたいで良いから書いてごらん」
と言っても書けない子が多いのです。

近頃の時計は良く出来ていて、時刻が狂ったから針を回して合わせるという労力が
ほとんど必要ありません。
壊れるまで半永久的に合わせる必要がない電波時計すらありますから。
止まってしまった柱時計の時間を合わせるには、
「次に短針を追い抜いた後のこの場所まで長針をまわせばいいんだ」
というように、ほんの少しだけ先の状態を予想しながら動かします。
そして、その予想通りに針が動き予定していたところで針を止める。

このような体験がかなり大切な事なんじゃないだろうか、と近頃ますます強く感じるようになって来ました。

集団の学習環境(学校や進学塾)では、情報の伝達に重きを置いて運営されます。
先生が教壇に立って、話し言葉や板書によって情報を子供たちに伝えます。
一方、情報の受取手である子供たちは、同じ情報を受け取ったにも関わらず、
「何のことか分からない」
「何となく分かる」
「ああなるほどと思えるほどによく分かる」というように理解の度合いに大きな差が生じます。

それは、聞き手である子供が、身体感覚として理解出来たかどうかに関わっているように考えています。
「先生が話してくれていることは、あのときのあの時に感じたことなんだ」と感じる事が出来たときに、
「あっ、なるほど!」とハタと膝を打つような情動がわき起こります。

教え方のうまい先生は、「まるで子供たちに見えるように」「まるで子供たちが触っているように」話をします。逆に人気の無い先生は、情報の正確な伝達だけに注視しがちです。
伝達者側の出来不出来の差は大きいのですが、それはそれとして、
情報を受ける側、被伝達者側の受信感度を高める努力が大切だと思います。

身体感覚を伴った経験の量と質が共に大切だと思うのですが、いかがでしょうか。
いろいろなものを触った、触れて動かしてみた、見た、匂いをかいでみた、
このような経験を小さな頃からたくさんたくさんさせていただきたいのです。

脳科学の専門家でも無い私が言うのもおこがましいのですが、そのような身体感覚を伴った経験が、
側頭葉や海馬の働きを活発にしてくれるものの1つだと感じています。